「大人の鉛筆」大ヒット! 鉛筆はまだまだ成長産業である

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東京都葛飾区の住宅街に鉛筆のイラストが描かれた町工場がある。北星鉛筆はいまだに鉛筆を1日10万本以上作り続ける鉛筆会社だ。だが、並の中小企業ではない。「大人の鉛筆」やおがくず粘土など、杉谷和俊社長は次々とヒット商品を生み出し、鉛筆を守り続ける。

otonaenpitu「大人の鉛筆」鉛筆の芯を使ったシャープペン

鉛筆作りはずっと東京都の地場産業だ。振り返れば、昭和24年度の鉛筆製造企業は全国に110社あり、そのうちなんと7割以上、80社が東京に集中していた。

「いまではもう全国に40社程度しか鉛筆メーカーはありませんが、そのうち32社がいまも都内にあります。しかも荒川・葛飾区内に集中しています。かつて、材料となる木材の輸送に荒川の水運を利用したことと、東京が市場として大きかったからでしょう」

荒川と綾瀬川の川岸近くにある北星鉛筆の社長である杉谷和俊(68歳)は、創業者の祖父以来、鉛筆産業を守り続けてきた。いまも外注を含めて日産10万本以上の鉛筆を本社工場で作り続けている。自社ブランド販売と大手へのOEM供給が半々だ。

鉛筆は小学校で卒業と思っている人が多いかもしれないが、その常識を杉谷は見事にひっくり返した。

2011年に同社が発売した「大人の鉛筆」を使っている人も多いのではないか。筆者もその愛用者の1人である。これは、本物の鉛筆に使われる直径2ミリの芯を使ったシャープペンである。芯の太いシャープペンかと早合点するなかれ。通常のシャープペンとは芯が違うのだ。

「シャープペンの芯は細いので簡単に折れないようにポリマー(高分子有機化合物)が入っているんです。しかし、『大人の鉛筆』の芯は本当の鉛筆と同じ、黒鉛の粉と粘土だけを混ぜて焼いたもの。同じ芯でも書き味がまるで違います。一度、書いてみれば分かる。誰もが子供の頃に鉛筆を握っており、その書き味が記憶に残っているはずです」

杉谷が言うように「大人の鉛筆」は、ほとんど筆圧をかけずにサラサラと書ける。しかも、ボディは鉛筆のような木製で、重すぎず、軽すぎず、使いやすい。

誰もが当初は「鉛筆のシャープペン?」と首をかしげたにも関わらず、売価500円程度ながら発売以来、累計100万本を突破。セットされている芯削り器を使えば、簡単に芯をとがらせることもできる。

「大人の鉛筆」は、2011年の日本文具大賞デザイン部門優秀賞を受賞。その講評には「鉛筆屋による、鉛筆好きの為の筆記具」とある。実にこの製品の本質を言い当てている。バリエーションもあり、ペンの頭にスマホなどに使うタッチペンが付いているタイプや、手帳用のミニサイズもある。

この商品を知った書写の先生が、大人向けに鉛筆の持ち方を矯正する補助器具を作ってほしいと北星鉛筆に話を持ち込み、杉谷はすぐに商品化、2015年に「大人のもちかた先生」を発売した。鉛筆屋ならではの早い対応だ。

それにしても、鉛筆や箸の正しい持ち方ができない大人も増えているというのは、残念な話ではある。

「利益などは考えず、家業として続けるように」

otonanopencils北星鉛筆の創業者である杉谷安左衛門が残した家訓がある。

「鉛筆は我が身を削って人の為になる立派な仕事。利益などは考えず、家業として続けるように」

杉谷はこの「鉛筆の精神」を守り続け、鉛筆が世の中に必要とされている限り、作り続ける覚悟だ。だが、従来通りに鉛筆を作っていればいいほど甘くはない。杉谷は鉛筆本体や鉛筆産業に付加価値を与え、生き残りをかけて戦ってきた。

2001年には「もくねんさん」という人体に無害な粘土を開発し、ヒットさせた。2004年には絵の具「ウッドペイント」を発売、これもヒットした。共に乾くと木になる不思議な製品だ。現在も定番商品となって売れ続け、北星鉛筆の屋台骨を支えている。なぜ、鉛筆メーカーが粘土を出すのか、その理由は鉛筆の生産工程と時代の変化にある。

戦後、鉛筆は作れば売れる時代で、1966年頃には業界全体で年間14億本を作っていた。だが、その年をピークに以降、減り続け、2015年には2億本弱と7分の1の市場になった(日本鉛筆工業協同組合)。

こうした右肩下がりの中で、同社は1990年代後半から時代を見据えて「循環型鉛筆産業システムの構築」を図ってきた。なぜ、鉛筆作りで循環型を目指すのか。それは、鉛筆を作るには、その生産工程で板材のなんと40%もがおがくずとなって捨てられるからだ。

まだ、銭湯が元気な頃は、その燃料として買い取ってくれたが、銭湯が激減し、北星鉛筆では工場内の焼却炉で燃やすしかなくなった。だが、おがくずは燃えすぎるのが難点で、焼却温度は1000度にもなり、炉の劣化が早い。また、いつの間にか周辺は住宅地になり、煤煙で近隣の苦情が出るようになった。仕方なく、産業廃棄物として処理しなければなくなったが、そのコストも年々高くなった。

「おがくずの再利用が鉛筆産業を守るには不可欠だと考えるようになりました。1人であれこれ考えるうちに、おがくずを圧縮して製品化することを思いつきました。子供の頃、工場でおがくずにのりを混ぜた団子を作って遊んでいたことを思い出したのです。しかし、自社だけで取り組むには負担が重すぎる。そこで、日本鉛筆工業協同組合の青年部の仲間に声をかけ、業界で取り組むことにしたのです」

おがくずを使った粘土が大ヒット

杉谷は協力してくれるメーカーを探し、1999年にドイツのメーカーと共同で、乾燥したおがくずをプレスして固形化する装置を開発した。これにより、暖炉やバーベキュー用の「おがくず薪」を商品化することができた。エコマークも取得したが、残念ながら販売ルートを作ることができなかった。がんばったが、1年ほどで自然に消滅した。

だが、杉谷はあきらめない。圧縮するだけでは商品化に限界がある。それならば、粉末状にできないか。こうして、粉末化の装置開発に乗り出すが、思ったより難しかった。石臼のようにすりつぶせば熱で焦げてしまう。叩いて粉砕し、ふるいにかける方法も目詰まりしやすく、微細な粉が舞い上がって粉塵爆発を起こすおそれがあった。

様々な見本市や製粉工場を見て歩き、大手製粉会社の子会社が、粉砕しながら粉末を吸引する方式の装置を作っていることを知った。杉谷は「これだ!」と確信し、そのメーカーに装置開発を依頼し、おがくずをミクロン単位で粉砕することができるようになった。

問題は商品企画だ。おがくず薪と同じ失敗はできない。消臭剤や猫砂、壁材などいろいろと考えたが、販売ルートを確保できない。鉛筆の販売ルートを活かした商品は何か。そこで、生まれたのが粘土だった。粘土なら学校教材の問屋ルートで売ることができる。

子供たちが使うには無害でなければならない。そこで、おがくずに切手のりとして使われるPVAのりを混入した粘土「もくねんさん」を1年かけて開発した。2001年に国際文具・紙製品展に出展すると反響を呼び、ヒット商品となった。

その後、玉川大学芸術学部と共同で産学連携事業の認定を受け、世界初の木の絵の具「ウッドペイント」を開発した。おがくずに無害な食品用染色剤を混ぜて作ったものだ。これも2004年に発売してヒットした。

ウッドペイントはベニヤ板やコルクにも描くことができ、盛り上げれば立体的になり、後から削ることも自由だ。このユニークな特性にアーティストたちも興味を持ち、杉谷は「木彩画」と名付けて、日本とアメリカで特許を出願した。

自分の思いを商品化するのが基本

北星鉛筆は鉛筆に興味を持ってもらうため、30年も前から工場見学を積極的に受け入れ、近隣の小中高校では親子二代で工場を見学しているほどだ。2010年には鉛筆学習施設「東京ペンシルラボ」を開設。工場見学の後、粘土遊び体験もできる。年間1万人以上が見学に訪れている。

この工場見学から「大人の鉛筆」が生まれた。あるとき、子供と一緒に訪れた母親が「大人が使いやすい鉛筆があれば、ぜひ買いたいです」と言ったのだ。杉谷は当初、子供向けに鉛筆芯のシャープペンを考えていたが、その一言で方針を転換。大人向けに変えた。こうした思い切りのよさが杉谷の強みだ。

「目で見て商品を企画すると物真似や後追いになります。自分の思いを商品化すると新しいものができる。それがもの作りの基本ではないでしょうか。機能や性能より精神こそが大切です」

2016年3月にはパイロットと業務提携を発表した。北星鉛筆の鉛筆関連商品とパイロットのボールペンやシャープペン商品がお互いに補完しながら海外に乗り出すという。メイドインジャパンの鉛筆は東南アジアでまだまだ必要とされている。

杉谷は現在、芯が減らない(減りにくい)鉛筆を開発中だ。鉛筆で同じ太さの線を引けないかという漫画家の要望に応えるためだという。北星鉛筆が健在な限り、鉛筆はまだ成長産業である。

(文中敬称略)

北星鉛筆株式会社●代表者:杉谷和俊

●設立:1951年

●業種:鉛筆など筆記用具、おがくず粘土・絵の具の製造販売

●従業員:28名

●年商:4億2000万円(2015年度)

「大人の鉛筆」大ヒット! 鉛筆はまだまだ成長産業である: 杉谷和俊・北星鉛筆社長 © PRESIDENT 杉谷和俊・北星鉛筆社長 ●本社:東京都葛飾区

●ホームページ:http://www.kitaboshi.co.jp/

Author: hadmin

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